Scene 19


「……あのね、ヒロ」
 うっとりとした気分が抜けないベッドのなか、直帆は言う。
「あの……瑞月さんのことなんだけど……」
 セックスを終えるまでは、正直すっかり忘れていた。けれど、思い出してしまえば黙っているわけにはいかない気がした。
「ああ、うん」
 眠たそうに、早瀬が目を擦る。その仕草が可愛くて、直帆は彼の身体を抱き寄せた。早瀬は素直に身を寄せてくる。
「そこに落ちているの、瑞月のだろ?」

 直帆の腕に収まりながら、早瀬が床を指差した。そこにはころりと転がったガラスの小鳥。
 直帆は驚いた顔をしていたのだろうか、早瀬が得意げな笑みを見せる。
「だてに同じDNA持ってないよ。っても、あいつのことはやっぱりわかんないけどさ」

「彼はたぶん、ヒロのことをすごく思ってるんだと思う」
 そう口にした時、なんとなく寂しくなった。血の繋がっている者にしかわからない感情が、羨ましかったのかもしれないし、自分の知らないヒロを随分と知っているだろう瑞月が、妬ましかったのかもしれない。
 己の嫉妬深さは、今回のことで思い知らされたから、ついそんなことを考える。
「俺さ、自分が弱いってこと知らなかった……。でも、瑞月は知ってたんだな。あいつ頭いいし、全部、いろんなこと知ってて、あんなことしたんだと思う……まぁ、やり方は意地悪すぎるし、やっぱむかつくけどね」
 そう言って、早瀬は恥ずかしさをごまかすように笑った。
「俺さ、そんな情けない人間なんだよ、直帆」
 隣に横たわり、早瀬が思いつめたような目でこちらを見つめてくる。直帆は何がなんだかわからなかったが、手を伸ばし、彼の髪を撫でた。

「そんな情けない人間だけど、いい?」
 早瀬の瞳にじわりと涙が浮かぶ。
「いいって、そんな……そんなの、聞く必要なんてないよ。俺はもう、ヒロがいないとダメだよ……」
 早瀬が泣いたからではない。本心だった。

 こんなに心を揺れ動かされる相手は他にいない。もう、彼なしでは生きてはいけないと、直帆は本気で思っていた。
 初恋だからだろうか?
 わからない。でも……
 運命という言葉が心に浮かぶ。
 直帆は、運命だからだと信じたいと思った。
「ヒロ……大好きだよ。俺はずっとヒロの傍にいたいし、ヒロにも傍にいて欲しい」
 早瀬の瞳に浮かんでいた涙が膨れ上がって、流れ落ちた。

 いとおしくて堪らない――
 どう言えば伝わるだろう……?
 恋愛に関して未熟すぎる自分が歯痒い。

「直帆……大好き」
 直帆の胸に早瀬が顔を埋める。彼の涙が、胸を濡らす。
 直帆はその身体をぎゅっと抱きしめて、早瀬の耳元に唇を寄せた。

「あ……」
 しばらく泣いていた恋人が急に、漂っていた甘さを打ち消すような声をだした。
「どうしたの?」
「うん……俺、理との約束破っちゃった……」
「約束?」
 早瀬は弱り顔をしてこちらを見上げてくる。かと思うと、小さく噴出して愉しそうな笑みを浮かべた。

「理がね、直帆は自分の大事な友だちだから、自分以上に仲良くなっちゃイヤだって言ったんだ」
「理君が、そんなことを?」
 想像して、直帆も笑ってしまった。
 なんて可愛いことを言うんだろう。

「完璧に破っちゃってるよね……」
 案外に甥っ子との約束を大事に考えているらしく、早瀬は深刻な表情になって考え込んだ。
「まずいよね……理のおかげなのに」
「理君のおかげって何が?」
「今、こうしてること。理が引き合わせてくれたようなものでしょ? あいつが直帆に会ってなかったら、俺も会えてなかったかもしんないし」
「そうか。そうだね」
 約束のことを真剣に悩んでいる早瀬には悪いけれど、直帆はなんだかほかほかと嬉しい気分でいっぱいだった。

 世のなかにはたくさんの人がいる。いくら近所に住んでいたって、顔も合わせずに終わる人がいったい何人いるだろう? そんななかで早瀬に出会えた。巡り会えたのだ。
 もし神さまという存在が在るならば、今すぐ感謝したいと思った。
 そして、それ以前に理に感謝しなくてはいけない。
 まるで天使だな。
 少し恥ずかしい発想だけど、そう思わずにはいられない。

「ヒロ。理君にはさ、いつか一緒に謝ろう。それといっぱい感謝もしよう」
「うん、そうだね」
 にっこり笑って、早瀬は頷いた。

 その肩越しに、床に転がったガラスの小鳥が見える。
 あれは一生大事にしまっておこう。

 そう決心した瞬間、ガラスの小鳥が羽ばたく幻が見えたような気がした。





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