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「あー、もうつまんなーい」
 机に頬杖をつき、ガラスドアの向こう、日の落ちた通りを眺めながら、響はわざと大きな声でぶうたれた。
 響にとっては居眠りの促進にしかならないイージーリスニングに混じって、奥の厨房からガチャガチャと何をしているのかわからないが、そんな音が聞こえてくる。聞こえよがしの不満への返事はない。

「ねー、もう閉めちゃおうよー。お客さん来ないしさー、閉店閉店」
 さっきより大きな声を心がけて言うと、やっと声が返ってくる。
「駄目だ」
 やっぱりねー。
 それ以外の返答は期待していなかったからがっかりはしないが、退屈すぎる。
 響はひとつ欠伸をして、背のない丸い椅子から立ち上がり、一応客が来そうにないことを確認して、厨房をひょいと覗く。
 なかでは、白衣を着た背の高い男が大きなボールを洗っているところだった。

「秀ちゃん、暇なんだけどー」
 声をかけると、真剣な顔でボールにスポンジを当てていた男は顔を上げる。
 三治秀史(みはる ひでふみ)。響の幼馴染で、今現在は雇用主だ。
「店番してろ」
 低い声で素っ気なくそれだけ言うと、秀史はまたボールを洗うのに集中する。
「クソ真面目」
 聞こえるように言ってみたが、秀史は完全に無視した。
 そんなものを一生懸命洗って、何がそんなに楽しいんだか……

 秀史のことは、昔からよくわからない。
 小さい頃から朴訥としていて、真面目に勉強にも運動にも励み、高校では生徒会なんて面倒臭いこともやっていた。今では両親が経営するここミハル洋菓子店で、これも真面目に働いている。
 幼稚園のころからサボりがちで、高校もなんとかぎりぎりで卒業し、あと数年で三十になるというのにふらふらしている響とは、見事なまでにかけはなれた人生を歩んでいる。
 だからしょっちゅう理解不能で、時々ちょっとだけ胸がちくりとなる。
 やっぱり断ればよかったかなー……

 昨日突然電話があって、店の手伝いを頼まれた。バレンタインにバイトなんて冗談じゃないと最初は断ったのだが、よく考えれば秀史が頼みごとをしてくることは珍しく、よっぽど困っているのかと思うと、柄にもなく気の毒な気持ちになった。なので、昼からでいい? とか、給料はいくらでとか、立ち仕事は嫌だから椅子を用意しといてくれたら、とかたんまりと条件をつけて引き受けた。
 確かに今日一日、こんなというと失礼だが、都心から随分と離れた、よく言えば郊外、悪く言えば辺鄙な場所にある、冴えない店のわりに忙しかった。だけどわざわざ響が出向いてくるほどでもなかったと思う。さっきまで秀史の母親もいたし、店を手伝ってみてわかったが、秀史に会うことを目的としているとしか思えない女性客も何人かいて、彼女たちなら喜んで手伝ってくれたはずだ。

 そんなことを考えていて、ふと気になっていたものの存在を思い出した。
「ねえ、秀ちゃん」
 入念に洗っていたボールを拭いていた男が、ちらっとだけこちらを見る。
「秀ちゃんってさ、彼女いるの?」
 厨房には入ってくるなときつく言われている響は、入り口のところで片足をぶらぶらさせながら訊いた。
「響、お客さん来てないか?」
「来てないよー」
「本当か?」
 眉間に皺を寄せ怖い顔で疑ってくるので、しかたなく後ろを見てみるが、ガラスドアの向こうは通り過ぎる人もいない。
「やっぱりいないよ。ねー、それよりさ、彼女いるのかって訊いてるんだよ」
 男は相変わらずボールを拭いている。質問に即座に答える気はないらしい。というか、答えない気かもしれない。

 響は斜め後ろをちらちら窺う。そこにずっと気になっているものがある。
 簡素な木製の棚に、ファイルやら包装用の箱やら袋やらに混じって、ひときわ目立つ箱がある。店のものではない、チョコレート色の包装紙に包まれて、ご丁寧にリボンまでかけられている。これはプレゼントですと大宣言しているようだ。大きさ的には十五センチ四方といったところか、こぶりのホールケーキの箱ぐらいの大きさだ。それが発見した昼からずっと気になっている。
「ねーってば」
 しつこく訊き続けると、ようやくボールを拭き終わった男は手を止める。
「いない」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
 簡潔にそれだけ言うと、今度は調理台を布巾で拭き始める。黙々と、真面目を絵に描いたような男だ。

 響は例の箱と幼馴染を交互に見て、嘘だーともう一度呟く。
 どこからどう見てもプレゼント。しかも今日はバレンタインデー。あんな大きなプレゼントが義理なはずはない。
 その辺を問い質そうと口を開きかけた時、楽しげなメロディが聞こえてきた。おそらく母親の趣味であろうメルヘンな壁掛け時計が、十九時を知らせている。

 熱心に布巾をかけていた秀史が動きを止め、つかつかとこちらに歩いてくる。そのまま響の横を素通りして、表の電気を切り、カーテンを閉め、これで閉店となった。
「響、手伝ってくれてありがとう。助かった」
 淡々とそう言って、秀文はレジの下の引き出しを開けて取り出した封筒を手渡してくる。給料だ。それを受け取りながらも、響はどうしてもあの箱が気になってしかたがなかった。
「ねえ、秀ちゃん」
 あの箱、と言おうとした時、まるでそれがわかっているかのように、秀史は棚に手を伸ばしその箱を手に取った。
 どうするつもりかと思っていたら、
「お前、鞄に余裕あるか?」
 と意味不明なことを訊いてきた。
 きょとんとしていると、棚の下に入れてあった響の鞄を見て、無理だな、と言って店の紙袋を広げ始める。ぼけっと見ているうちに、紙袋のなかに箱が収められ、なぜかそれが響の目の前に差し出された。
「え? 何?」
 ぱちぱちと、大きな目を何度も瞬く。
「やる」
 秀史は差し出した紙袋をぐいっと押し付けてきて、なんのことかわからないまま、響はそれを受け取る羽目になった。


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