Scene 3 「本当に大丈夫だったの? 誰かと一緒だったんでしょ?」 ドアを開けるなり、親友はそう言って心配したが、反して、顔も声も嬉しそうだ。 「いいんだ。別に大した用事じゃなかったから」 薫が微笑めば、彼はその整った顔を一層綻ばせた。 柏木直帆。薫がこの世界で唯一心を許せる人間だ。 まだふたりが小さい頃、隣に住んでいた直帆は、いつも薫の後ろをついて回っていたので、薫は同い年の彼を弟のように可愛がった。 それは今でもあまり変わらない。 直帆はもう立派に成人して、写真家として大成もしているが、それでも薫にとっては庇護すべき存在のままだ。 「直帆。最近仕事忙しいのか? 少し疲れた顔をしているが」 直帆に勧められるままソファに腰掛けた薫は、お茶を淹れにキッチンへ向かった彼に向かって言った。 「ああ、それは仕事でじゃないんだ」 なんとなくバツが悪そうな声が返ってくる。 ほどなくして、ティーポットとティーカップ、それと小さな容器に入ったスコッチウィスキーを運んできた。 「実はね、昨日からずっと部屋を片付けてて、クローゼットを整理してたらアルバムがたくさん出てきてね。そう言えば、大学でこっちへ来る時にいっぱい持ってきてたなって、思い出したら懐かしくって」 ほら、と直帆ははしゃぎながら、ローテーブルの下にあった、アルバムを手渡してくる。 懐かしい表紙。確かに昔見たことのある小学校の卒業アルバムだった。 「こんなの見るの、もう何年ぶりだろうな」 重厚な表紙を捲っていると、直帆が奥の部屋に消えた。かと思えば、抱えきれないほどのアルバムを抱えて帰ってくる。 「こっちには、中学のと高校のもあるよ。なんか俺嬉しくなって、大学時代のも引っ張り出してきちゃって」 「それを見てて、片付けどころじゃなくなったのか?」 大量のアルバムを落とさないように運ぶ直帆は、訊かれて恥ずかしそうに苦笑する。 薫は思わず笑ってしまった。 親友の、こういうところは目を細めたくなる。二十六にしては、子どもっぽいところが多々あるが、急かされて無理やり大人になった薫から見れば、とても眩い。 「ここに置くから、ゆっくり見てて」 アルバムを薫の足元に置いて、直帆はポットからカップへ紅茶を注ぐ。いい香りと湯気が立ち上る。 アルバムを取りに行っている間に、丁度蒸らし終えたのだろう。 紅茶を淹れる横顔は実に落ち着いていて大人びている。滅多に見ることはないが、カメラを構えている時は、さらに凛としている。 「なあに? 俺の顔なんかついてる?」 横顔を盗み見ていると、視線に気づいた直帆と目が合った。 「いや、そんなに綺麗な顔をしているのに、どうしてお前は自信が持てないのかと考えてたんだ」 「もう、その話はいいよ。薫が俺に自信をつけさせようとしてくれるのは嬉しいけど、いくらなんでも、綺麗な顔だ、なんて無理があるよ」 親友は少し哀しげに笑う。 薫はため息をつく他ない。 何を言ったところで、もう無駄だろうということはわかっている。 二十年以上蓄積された、間違った固定観念。 直帆はどうしたって、己の美貌を認めない。 高い鼻も、くっきりとした二重も、形のいい桜色の唇も、彼にとっては人形じみていて気持ちが悪い、という最低な評価にしかならない。 人形のようだ、ということはつまり、至極端正だということなのに、彼には理解できないという。 それどころか、優しげな眼差しを、垂れ目で嫌だとか、柔らかな髪は、くせっ毛で困るとか、そんな瑣末なコンプレックスのほうが勝るのだ。 「そんなことより薫、その次のページ見てみて。学芸会の時の写真が載ってるから」 気分転換が早い、というのは美点だ。 「薫、王子様だったよね。かっこよかったなー」 紅茶を淹れ終わった直帆は、薫の隣に詰めるように座り、これこれ、と言って写真を指差した。 そこには、手作りの王冠を被り、手作りのすぐに折れそうな剣をかざす幼い自分がいる。 「かっこいいものか、こんなの。今となってはただの恥ずかしい思い出だ」 薫は早くページを捲ろうとしたが、直帆がそれを阻止した。 「なんで? すっごくかっこいいよ。台詞だって、いっぱいあったのに、全然間違えなかったでしょ? 俺なんて台詞のない昆布だったんだよ!」 直帆は拗ねたように言って、ティーカップに口をつけた。 「それは、お前がなぜか志願したんじゃないか?」 「だって、薫と一緒の出番がいちばん多いのが、昆布だったんだもん」 「そうだったのか?」 今の今まで知らなかった。 薫は記憶力がいいほうだし、直帆が積極的に自己主張をすることは珍しいことだったので、昆布をやりたいと言い出したことははっきり覚えているが、なぜよりによって昆布なんかをやりたがったのかだけは、不明だったのだ。 さすがに唖然としたが、すぐにこそばくなる。こんなに慕われて、嬉しくないはずがない。 「どのアルバムも、薫がいっぱい写ってるんだよ。中学の時の剣道で優勝した時のとか、生徒会長で挨拶してるとことか、高校の時の弁論大会で優勝した時のとか、薫っていっぱい表彰されてたよね」 親友は、まるで自分のことのように誇らしげな顔をしている。 「直帆だってそうじゃないか。生徒会だっていつも一緒だっただろ?」 「でも、薫はいつも会長だったじゃない? 俺はいつも書記。やっぱり、薫はすごいよね」 しみじみと誉められて、どう返していいかわからない。 くすぐったくて、顔が赤くなりそうで、口元がどうしても緩んでしまう。 照れ隠しに紅茶を飲んだ。茶葉の香りにウィスキーの香りが混ざって鼻を擽る。 「今日も、雑誌に薫の会社のことが載ってたよ。薫ってこの会社の社長代理だなんて、すごいなーって、今さらすごく感心しちゃった。今までなんか普通に思ってたけど、普通のことじゃないよね。さすがだよ」 「さすが?」 「うん、さすが薫だよ」 さすが。 同じ三つの音からなる、同じ意味の単語なのに、どうしてこうも響きが違うのだろう? 今まで聞いてきたものとは、全く別物だ。 さすがだよ。 直帆に言われるのは、全く不可解ではなく、背中を押される。胸を張らされる。 さすがだよ。 なんだか、少し瞼の裏が熱くなった。 「ありがとう、直帆」 「え? 何が?」 首を傾げる親友の、その温かな瞳に写る自分に少しでも近づきたいと、薫は心から思った。 いつも自分の後ろをついてきているとばかり思っていたが、もしかしたら自分のほうこそ、直帆を追いかけているのかもしれない。 直帆がいなかったら、間違いなく今の自分はない。 直帆がいたからこそ、ここまでこれたのだと、今さらに気づいた。 「変な薫。あ、もしかしてまだ王子様のこと気にしてるの? まあ、確かにあの白いタイツは今見るとちょっと恥ずかしいけど、でも薫は似合ってたよ」 的外れなことを必死になって言う親友に笑いながら、薫はもう一度心のなかで、ありがとう、と呟いた。 |