Scene 14


 都内から電車を乗り継いで、響の教えてくれた店の前に来た頃には、さすがに辺りは暗くなっていた。
 細い路地に面した洒落た造りの和食店。町谷風の建物の、いかにも瑞月が好みそうな店だ。

「で、どうするの?」
 角に隠れて店の様子を窺っているヒロの背後から、愉しそうな調子で響が聞いてきた。
「どうするって……」
 勢いでここまで来てしまったが、自分はどうする気だったのだろう? まさか店に押しかけていくわけにもいかないし、ここで待ち伏せしていても、出てきたふたりに何を言おうというのか……?
 興味津々な響には悪いが、何も浮かんでこない。

「まさか、ここからこっそり覗いて終わりじゃないよね?」
「だって……」
「有り得ないよ、ヒロ。兄貴に取られていいわけ?」
「いいわけな――」
 あれ?

「響、なんでお前柏木さんと一緒にいるのが、俺の兄弟だって知ってるんだよ?」
 響に瑞月を紹介したことなど当然一度もない。顔が一緒だといっても、大抵の人間はヒロたちの血縁に気づかないはずなのに……
「え? だって、それは、ヒロが話してたのとイメージがまんまだったから。着物着てる男の人って珍しいしさ。って、それよりどうすんだよ?」
 水を向けられて、ヒロは唸った。
 確かに今は、それが一番の問題だ。
 幸いというのか、店が細い路地にあるので人通りは少なく、ヒロたちの怪しい行動を見咎める人はいないが、いつまでもこんなところでぐずぐずしてもいられない。

「ね。僕が行ってもいい?」
「はあ?? どういう意味だよ?」
「だってさー、思ってた以上にかっこいいんだもん。すごく興味あるなー、僕」
「だ、ダメに決まってるだろう!」
「どうして? ヒロのじゃないじゃん」
「そりゃそうだけど」
 やばい、こいつ本気だ。
 響というやつは狙った獲物は逃さないハンターみたいなやつで、どんな手を使ってでも手に入れようとする。
 自分も獲物だった過去があるだけによくわかる。

「響君、協力してくれるんじゃなかったの?」
「協力ってどう協力すればいいんだよ? ヒロは全然行動起こそうとしないのに?」
 いちいちごもっともで、ヒロは二の句が継げない。とはいえ、なんとかしなければ。ただでさえ瑞月という強大な障害があるのに、その上響まで加わったら大変だ。

「それにヒロ、柏木さんとうまくいったら、僕のこと捨てるでしょ?」
「そんなわけないだろう? 響君のこと捨てるわけないじゃん。身体の相性は響君に勝てる相手なんているわけないんだし。浮気は俺の特技だって知ってるだろう?」
 ヒロは必死だった。でも、その必死さが大きな仇となった。
 いや、それも日頃の行いの悪さが祟ったのか……

「特技は浮気。それじゃあ、履歴書には書けませんね、ヒロ」
 自分でもぎくりと背中が硬直したのがわかった。
 さすがに今回は振り返る勇気が湧かない。
 縋るような目で響を見るが、彼はどうしようもないね、というような表情で肩を竦めるだけだ。

「どうしたんです、ヒロ。柏木さんにご挨拶なさらないんですか?」
 背中を冷や汗が伝う。まるで金縛りにでもあったように身体が動かない。
 言い訳だけが頭に浮かんでは消え、消えては浮かぶ。ただそれも、喉元から先へは一向に出てこない。
 柏木はどんな顔をしているのだろう? 彼の声が一向に聞こえてこないということは、ヒロの言葉を聞かれてしまったのは間違いない。

 嵌められた。
 今さら気づいても遅いが、響はずっと店のほうを見ていたはずだ。ならば、こちらへ近づく二人に気づかないはずがない。
 素知らぬ顔をしている響が憎らしい。それよりも首謀者であろう瑞月が憎い。けれど誰より一番腹が立つのは、二度も同じ手にひっかかる愚かな自分だ――

 悔しさと、怒りと、やりきれなさが心を滅茶苦茶にして、ヒロは眸が熱くなるのを感じた。
「因果応報とはこのことですね、ヒロ。さ、柏木さん行きましょう」
 散々な捨て台詞を残して、瑞月は去っていった。
 裏切り者とふたり残されたヒロは、その場によろよろと座り込んだ。
 もう自分の足で立っていられるような力さえ残っていない。

「僕は謝らないからね、ヒロ」
 駄目押しの駄目を押すようなことを言われても、責める気も湧かない。それどころか、何を言われているのかさえよくわからなかった。
 いや、聞きたくなかった。

 何もかも、どうでもいい――

 それなのに、響は肩を掴んで目線を合わせようとする。ヒロは焦点さえ定まらないというのに――
「ねえ、ヒロ。ヒロはさ、孤独を知る必要があるんだよ」
 そう言残して、響までもがヒロを置き去りにして行く。

 孤独を知る必要――
 それは、今まで奔放に生きてきた報いを受けろという意味なのだろうか?
 瑞月の声が耳の奥に蘇る。

 因果応報――俺が悪いのか――?

 何もかも、自分のせいだっていうのか?
 外灯が頼りなげな光りで照らす路地から、ヒロは長い間動けなかった。



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