Scene 16


 街路樹が綺麗に並んだ通りは、まだ昼間の光を残している。仕事相手との待ち合わせに指定したレストランを眺めてから直帆が腕時計を見ると、時刻はもう少しで十六時半になるところで、約束の時間までは、まだ随分と余裕がある。
 早く家を出過ぎるのはいつものことだ。

 直帆は人を待たせるのが苦手だった。少しでも待たせてしまうと、半日は自己嫌悪に陥る。だから早めに家を出るのだが、それにしても一時間や、時には二時間以上早く待ち合わせ場所に向かうのは、自分の寄り道癖を承知しているからだ。今もここへ来る前に、思いつきで一軒のカフェに立ち寄った。さてこれからはどこへ行ってみようかときょろきょろしていると、ふいに書店のウィンドウに貼られたポスターが目に入った。それは建築雑誌の広告のポスターで、写真は近頃できた総合施設の全体が写ったものだ。
 緑をふんだんに取り入れたデザインということで有名になったものだが、直帆にはちっともいいと思えなかった。確かに緑はたくさん使われている。けれど、それよりも人工大理石でできた奇抜な形の建物に目が行ってしまい、せっかくの緑と調和が取れているようには思えない。

 自然と、早瀬なら……と考えてしまう。
 彼ならもっと、魅力的な建物を建てられるんじゃないか、そんなことを考える。
 彼に会いに行く勇気さえ、ないというのに。

 最後に会った、いや、見た日から三日が経っている。彼はどうしているだろう?
 気になるのに、電話もできない。
 不甲斐ない自分が嫌になる。
 もし何も変わらず、平気なままで、今も誰かと一緒に笑っていたら……
 自分は傷ついてしまうような気がしてしかたがないのだ。

 直帆の心を早瀬が占める割合は日増しに大きくなっている。ほんの些細なことから、例えばさっきのように建築雑誌の広告を見たりとか、あの日ふたりで歩いた駅から家までの道のりを辿ったりする時だとか、早瀬が誉めてくれた自分の写真を見たりするだけで、しきりに彼は直帆の心を揺さぶり、かふぇ・それいゆの写真を見つめる時間が増えていった。

 チリンチリンと自転車がベルを鳴らした。直帆はふっと我に返り俯けていた顔を上げて、そして目を瞠った。
 目の前に、まだ建築中の建物が見えた。それは早瀬の作品だった。どこかに書いてるわけじゃない。けれど、間違いないと直感が知らせている。
 何人かの職人が働いている現場に、吸い寄せられるように近づき、すぐ近くの男に声をかけた。

「あの、これは早瀬さんのデザインのものじゃないですか?」
 振り向いた男は日に焼けた、四十過ぎくらいの男だった。急に声をかけられて驚いたのか、一瞬きょとんとしてから、くしゃりと破顔した。
「よくわかったねぇ。あんたも建築家かい?」
「いえ、僕は写真家なんですが、早瀬さんとは少しお付き合いがあって――」
 そう言うや否や、男は勢い込んでこう言った。
「そうかい! そんじゃあんた、ヒロ君の様子を知らんか?」
「え? 様子、ですか?」
 急にそんなことを言われて口籠ると、それを答えと見たのか、男はがっかりしたような顔をして、しかしすぐに笑顔を見せた。

「すまん、すまん。急にこんなこと聞かれても困るよな。ちょっと今なんていうんだ、ナーバスになっててよ」
「ナーバスって?」
 今度は直帆の方が身を乗り出す番だった。
「いや、ちょっとね。まあ、大したことないんだけどね」
 彼は言うか言うまいか悩んで、あやふやなことを繰り返す。直帆は焦れて、気づけば、教えてください! と詰め寄っていた。
 その勢いに気圧されたのか、男はようやく口を開いた。
「ただの思い過ごしかもしれねぇんだけどな……」



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