Scene 5


 午後の日差しはもう初夏を感じさせるほど強い。白いコンクリートの建物が眩しく、直帆は目を細めなければ歩けなかった。
 朝焼けに染まる海を撮影してきた帰り道、サングラスを持って来ればよかったと、しきりに後悔が浮かぶ。
 肩にかかるカメラバックもいつもより重く感じて、気分が苛立っているのが自覚できる。
 少し休憩しよう。
 撮影が順調に終わった分、時間が余っている。今日撮った写真の現像とプリントをしなくてはいけないけれど、少しぐらいカフェでお茶をしても構わないだろう。

 そう思うと急に気が軽くなって、直帆の心はうきうきしてくる。我ながら単純だ。
 どこのカフェに行こうかと思案し始めて、ふと目の前の看板が目に入った。十字路の隅に置かれた木製の看板には『かふぇ・それいゆ この先すぐ』と書かれている。
 興味をひかれた直帆は、看板の示す方へ進んでみた。
 角を曲がってすぐのところに、それはあった。

「かふぇ」と平仮名表記するだけあって、和風喫茶らしく、濃い茶色を基本とした落ち着いた造りで、店先にはうぐいす色をした麻ののれんが掛かっている。
 二階から上はマンションらしいのだが、コンクリートの外壁のわりに、この和風のカフェと不思議と馴染んでいる。コンクリートと木材がうまく協調し合っているのだ。
 カフェの窓から見えるモダンな家具や、アンティークっぽい照明もセンスの高さを感じさせ、直帆は一目で気に入った。
 最近はお洒落なカフェやレストランが多いけれど、ここまで惹かれる外観は珍しい。ましてこの建物はどちらかといえばオーソドックスなデザインで、奇抜さはない。それでもどこか新鮮なものがあり、心が惹きつけられるのだ。
 一刻も早く日差しから逃れたかったことも忘れて、しばらく店やその上のマンションの外観を眺めていると、カフェの引き戸が開いた。

「あー! 直帆さんだー!」
 驚いたことに、なかから出てきたのは理だった。そういえば、今日は土曜日だ。
「理君。偶然だね」
 嬉しそうに駆け寄ってきたかと思うと、理は直帆の右手を両手で握ってぶんぶん振った。握手のつもりなのだろうか?
「理?」
 声がして、直帆は理に向けて下げていた視線を上げた。そこには和服姿の綺麗な人が立っていた。

「瑞月さん、この人が直帆さんだよ。さっき話してた」
 直帆の手を握ったまま、上体を振り向かせて理が言うと、瑞月と呼ばれた人物は直帆を見て、ゆっくり微笑んだ。
「はじめまして、柏木直帆さん。理の伯父の雨宮瑞月です」

 そこで初めて、この人物が男であることがわかった。中性的と言えばいいのか、フレームのないすっきりした眼鏡をかけた顔も、すんなりとした体型も、男臭さが微塵もなく、女性的だ。歌舞伎の女形のような印象だった。
「はじめまして」
 小さく会釈をすると、瑞月はまた笑んで、
「見にいらしたんですか?」
 と、訊いてきた。質問の意味がわからず小首を傾げると、
「ヒロの創造物ですよ」
 と言う。

「ヒロって……早瀬さん、ですか?」
「あら。偶然だったんですか? そうです早瀬ヒロです」
「そうなんですか、これは早瀬さんが……」
 改めて五階建ての建物を見上げてみて、感動に包まれた胸は急に嬉しくなった。
 一度しか会ったことはないが、知っている人がこの素晴らしい建物を建てたのかと思うと、どきどきして心が躍るような気持ちがする。
 今までさほど建築に興味がなかったけれど、こういうものなら是非とも他の作品も見てみたくなった。
 それほど目の前の建物は魅力的だった。

「素敵ですね。なんだか感動しちゃいました」
「そう言っていただけると、弟もきっと喜びます」
 穏やかな調子で述べられた言葉に、直帆は思わず目を丸くした。
「え? 弟?」
 聞き返した直帆の驚いた様子に、瑞月は心から可笑しそうにくすくす笑った。

 そう言えば、理の伯父なのだから兄弟でも不思議はないし、むしろ確率的には高いのだが、どうも雰囲気が違い過ぎるせいで、繋がらない。
「柏木さん、もっと驚かせてさしあげましょうか?」
 楽しそうに肩を揺らして、瑞月は言った。
「三つ子なんですよ、僕たち」
「ええ?!」

 直帆は全く驚きを隠せなかったが、よく思い出してみると、最近出逢った三人、早瀬ヒロ、和崎風香、雨宮瑞月の顔の作りは確かに全く同じだと気づく。
 性別や苗字が違うことと、眼鏡をかけていたり、服装が違ったり、何より雰囲気がばらばらなので、わからなかったのだ。
「直帆さんってば気づいてなかったんだ」
 理は意外そうに言うけれど、瑞月は、
「無理もないですよ。僕たちは顔の造作以外全然似ていないですから。気づかないのは柏木さんだけじゃないですし。ただ、僕はそういうことを面白がってしまう性質なんです。笑ったりして、お気を悪くなさらないでくださいね」
 申し訳なさそうな顔をしてそう言った。
「いいえ、別に。気を悪くしたりしないですよ」
「そうですか? それならいいんですけど」
 瑞月の表情が柔らかいものに戻る。

 しかし、いまだに直帆の頭のなかは混乱が去ってはいなかった。
 騙し絵を見させられたような気分。
 でもそれは、決していやな気分ではない。
 三つ子というだけで充分珍しいのに、それがここまでばらばらだとは。それに、そんな三人に短期間のうちに別々に出遭うなんて、なんとも不思議なことで、それは幸運に近いような気がした。

 少し強い風が吹いて、近くの木の葉を揺らす。
 初夏の訪れを感じさせる午後、静かにゆっくりと太陽が傾き始めた。



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