Scene 23


 ふらふらと、なんとか部屋に帰ってきた朋聡は、後ろ手で閉めた玄関ドアに凭れかかったまま、しばらく動けないでいた。
 玄関も、その先の廊下も暗く、音もない。
 こういう感情は、なんという名前だったっけ?
 怒りはどこかに消えてしまった。哀しみはさっきと違う色になっている。虚しさはより大きな水溜りになって、胸を冷やしている。

 寒い。

 季節は夏で、そんなはずはないのに寒いと思う。
 朋聡は手に持っていたバッグを放り出して、靴を脱ぎ捨てた。よろよろと部屋に入り、また壁に凭れる。
 最上階の窓から見える東京の街は、バカみたいに煌いている。
 夜の街の光を受けた部屋。目も慣れてきて、はっきりと浮かんだその輪郭。それはなんて冷たい場所だろうと思った。

 この部屋が広すぎると初めて感じた。
 ひとりには、広すぎる。
 そっか。ひとり、なんだ――
 想起する必要もなく、薫の顔が頭に、心に浮かぶ。連鎖反応で、薫の声も蘇る。
『秘書に、離婚を伝えなかったのは俺が間違っていた』

 秘書――

 ひとり。
 ひとりの男じゃなくて、ひとりの秘書。
 急激に、哀しみが込み上げてくる。

 壁から起き上がり、早足でクローゼットに向かう。荒い仕草でそれを開ける。何十着ものスーツがかかっている。六割が男物、残りが女物。
 朋聡はそれを一着掴んで、床に放り出した。バサっという音と、ハンガーが床を叩く音がする。もう一着手に取った。それも乱暴に床に捨てる。
 何着もそうやって床に投げ捨て、ブリーフケースが目に留まれば、それも放り出した。かかっていたワイシャツも、全部放り投げた。ネクタイは夜景に向かって投げた。
 そうしてクローゼットが空になり、床は散乱したスーツやワイシャツで隙もなく埋まった。
 散らかった部屋を見渡すと、膝の力が急に抜けて、朋聡はスーツの海にへたり込む。そうすると唇が、勝手に動いて言葉を漏らした。

「薫さん……寂しい……」



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