Scene 31 「薫」 卑怯な男は何もかもわかって、何度も名前を呼び捨てで呼ぶ。 呼びながら、指や舌で快感を与えてくる。 「……たちば、な……嫌だ」 声と指と舌で愛撫され、たまらない気持ちになる。 薫が吐息をもらせば、握った性器が質量を増す。濡れて熱くなったそれを見れば、どくどくと全身が脈を打つ。 興奮する。 橘とセックスする。 そう頭で言葉にしたら、腰が震えた。 怖い。でも、欲しい。 甘い声に何度も名を呼ばれ、身体には、絶え間なく快感がもたらされる。 そんなことを繰り返しているうちに、怖いという気持ちを欲しいという気持ちが塗りつぶしていく。 熱い身体を、ゆっくりと押し倒される。 橘は何も言わず、薫の下腹に顔を埋めて、性器を口に含んだ。 「あ――」 先を吸われ、緩く歯を立てられて、思考が融けていく。 翻弄されているうちに、片脚を抱えあげられる。 自分でも見たことのない、誰かに触らせることなど一生ないと思っていた場所に、熱が触れた。それが橘の舌だとわかって、薫は慌てて彼の髪を掴んだ。 「橘、なんでそんなとこ、ダメだ!」 頭を揺すって離そうとするのに、相手は言うことをきかない。 気でも狂ったんじゃないかと、薫は本気で思い、思考をうやむやにしていた熱も一気に冷めるぐらい動転した。 繋がるために触られることは予測していたが、舐められるなんてことは考えもしない。ありえない。 「汚、いから、やめろ、お前、バカ」 嫌だ。嫌だ。 頭を叩いたり、片足で蹴ったりして暴れると、やっと橘は顔を上げた。 「どうして止めるんですか?」 「どうしてって、そんなの当たり前だろう? お前、おかしくなったのか?」 「おかしくなんかないですよ。普通の愛撫じゃないですか?」 「普通じゃないだろ!?」 「嫌ですか?」 薫が喚いても、橘はけろりとしている。 本当に、どうにかなってしまったのかもしれない。 「嫌に、決まってる」 「じゃあ、指だったらいいですか?」 「え?」 「舌と指、どっちがいいんですか?」 「ど、どっちがって……そんなの、どっちも――」 「どっちも嫌はなしです。薫、どっちがいい?」 卑怯だ。 卑怯すぎる。 橘はにやりと笑って、これ見よがしに唇を舐める。 「……指」 最後にはそう答える他なくなる。 橘は満足そうに微笑んで、唇を重ねてきた。 「嫌だ、お前、それあそこを舐めたやつ」 真剣に抗議すると、盛大に笑われた。 「潔癖症ですね、薫さん。セックスに綺麗も汚いもないでしょう?」 「それは……」 そうかもしれないけれど…… 子どもみたいにむくれる薫に、橘は懲りずにキスをして、愛してると囁いた。 「薫、愛してる」 甘い声を何度も聞かされて、奥まった場所に伸びてきた指を拒めなくなる。 本当に、この声はいけない…… ゆるゆると触られ、くすぐったくて腰が浮く。唾液で濡れたそこが、徐々に柔らかくなっていくのが自分でもわかった。 少しずつ奥へ入ってくる指。恐怖で身体が強張る度に、橘は愛してると言いながらキスをした。 「手間が……かかって、悪いな」 堪らずそんなことを言ってしまい、また笑われる。 「本当に可愛い人ですね。そんなこと気にしなくていいんですよ。俺が好きでやってるんだから」 なかに入ってきた指が、静かに蠢く。 「薫さんは、黙って感じてください」 そんなことを言う橘の長い指が、ある場所に触れた。 瞬間、快感が全身を走って、高い声がもれる。 「は――ぁ……そ、こ……」 「ここ? ここがイイんですか?」 薫は必死に首を横に振った。 イイけれどよくない。 そこはダメだと言いたいのだ。 「おかし、く、なる……から、やめ……」 嫌だ、やめろと言っているのに、橘はそこを遠慮なく突いて、あろうことか指を増やして掻き回した。 こんなにも気持ちいいのは知らない。 「も、だめ、だ……」 二本の指がばらばらな動きで、なかをぐちゃぐちゃにしている。 薫の中心は、先走りを溢れさせて弾けそうに昂ぶっている。 触られてるのは、後ろだけなのに―― ダメだ、もう一度口にしようとした時、窄まりに、指じゃない熱が押し当てられた。 「挿れていい?」 訊いてきた男は、苦しげに眉を寄せている。そんな顔を見たら、何も言えない。 薫は返事をしなかったが、否定しないことは肯定だ。それをわかっている男はゆっくりと、押し当てた熱を少しずつなかへ進めてくる。 入ってくる。熱くなった塊が、身体を穿っていく。 「う……」 指で広げられてはいても痛い。でも痛いのはまだいい。辛いのは感じたことのない、この圧迫感だ。苦しくて、血が出るほど唇を噛んで堪えなくてはいけない。 侵されていく。支配されていく。圧迫感はそういう意識を強く引き出して、薫を不安定な感情のなかに落とし込もうとする。 怖い。 自分が自分じゃない何かになってしまいそうで怖い。 薫は縋るものを探して、手に触れていたシーツをぐしゃぐしゃに握り締めた。 「薫さん」 橘が汗で濡れた前髪に触れながら、大丈夫ですか? と訊いて来る。 その声は情欲に濡れて湿っていて、薫の胸を痺れさせる。大丈夫じゃない。でも、大丈夫。もう自分でもわからない。 きっと、嘘をついてでも、この男と抱き合いたいのだ―― 自分自身に言い聞かせるように何度も頷くと、ほっとしたように微笑まれる。けれど、その顔を見る余裕はすぐになくなった。 「あ――!」 熱の尖端が、さっき散々嬲られた場所をついたのだ。 「ん、ぅ――」 視界が涙で潤んでいく。 どうして涙がでるのかわからなくて、怖くなって橘に向かって腕を伸ばした。すると、彼はその腕を引っ張って、薫の上体を引き起こす。 気づけば、薫は橘の上に跨って座る格好になっていて、その体位の恥ずかしさから向き合う男の肩に顔を埋めずにはいられなかった。 「薫さん、全部入りましたね」 「…も、お前、喋るな」 わざわざ言わなくてもわかっている。 あそこが、男のでいっぱいになっている。意識すればするほど変になる。 わけがわからなくなって、やっぱり、ばらばらになりそうになる。 もうすでにばらばらなのかもしれない。 その証拠に頭のなかがめちゃくちゃで、同時に空っぽになっている。 「薫さん?」 顔を覗こうとされ、急いで背けた。 今顔を見られたら死んでしまうかもしれない。 そんな馬鹿なことを、真剣に考えていた。 それぐらい、正体のわからない感情に追いつめられていた。 「薫さん、辛いですか?」 ゆっくりと背中を撫でられ、自分が硬く身を強張らせていたことに気づく。 薫はかぶりを振る。 そうしようとしたんじゃなく、身体が勝手にそういうふうに動いた。 橘はため息なのか、笑いなのかわからない小さな息をもらした。 「強がらなくていいんですよ、薫さん。ここすっかり萎えちゃってるのに」 そっと性器に触れられた。 確かにそこは、いつの間にか熱を失っている。 それを知って、薫はいたたまれない気持ちになった。 どうしてこんなにうまくいかないんだろう……? セックスがこんなにも難しいものだなんて、今まで知らなかった。 今までは何も考えなくてもできたのに、どうして橘とすると駄目なんだろう? どうしてよりによって…… 本当にしたい相手とだと、うまくできないものなのだろうか? 世の中の、他の人たちもこんな風に苦労するんだろうか? 落ち込む薫の背中を温かい手のひらが何度も、何度も優しく撫でていく。 「俺、我慢できますよ」 橘は静かに、優しく言う。 「昔の俺なら絶対こんなこと言わないけど、薫さんなら本気で我慢できます。一年でも二年でもきっとおあずけしてられますよ」 温かい声。 「でも……もう、入ってる、じゃないか」 この状態からやめるのが楽じゃないことは、同じ男だからわかる。 「まあそうですけど」 橘はくすくす笑って、 「抜いてもいいですよ、薫さん」 と言って、蟀谷にキスをした。 たぶん、本気だと思った。 馬鹿な男だ。今まで散々意地悪をしてきたくせに、ここへきて甘い顔をするなんて…… 急激に胸がいっぱいになる。 とくんとくんと、音色を変えて心臓が鳴る。 「……やめ、ない」 強く抱きついて小さな声で言うと、嬉しそうな声が、なんて言いました? と聞き返してくる。 「聞こえてただろう? バカ」 「あ、バレちゃいました?」 えへへ、と笑う。橘が、橘らしくふざけて笑う。 すごく嬉しくて、心がくすぐったい。 「入ってますね、薫さん」 「……る、さい……バカ」 さっきと同じことを言われたのに、今度は橘を咥えている場所がきゅっと収縮して、身体が熱を灯した。 「薫さん、俺としますか? 俺と一緒に気持ちよくなって、一緒にイキますか?」 「……どうして、そんなことばっかり訊くんだ?」 「そりゃあ、サディストだからですよ」 「お前、俺にはそういうこと、しないって言ったじゃないか」 「傷つけたり縛ったりはしないとは言いましたけど、苛めないとは言ってませんよ」 けろりと言って意地悪く笑う。 なんとか抗議してやろうと口を開きかけたが、下から腰を揺さぶられて、代わりに嬌声をもらしてしまう。 「ねえ薫さん、答えてください。俺と一緒に気持ちよくなる?」 奥を突かれ、恥ずかしい声をこぼす薫はもう頷くしかできない。 「ダメですよ。ちゃんと言葉で言ってください」 言いながら橘は薫の胸を指先で弄る。萎えていた薫の性器は熱を取り戻している。 奥が気持ちよくて、乳首が痺れて、思考がままならない。 「ちゃんと言ったら、ここも触ってあげますよ」 性器の先を指で弾かれる。びくんと腰が振るえて、後ろが締まった。 悪戯に触られたそこは、もっと刺激が欲しいというように涙を溢れさせて震えている。 「……する」 熱に浮かされて、ほとんど無意識に口走った。 「お前と……イクまで、する」 その言葉を聞いた橘が再び薫の身体を押し倒して、いやらしい音をたてながら抽挿を始める頃には、薫は理性も意識も手放して、与えられる快感を素直に貪るだけになっていた。 |