Scene 7


「でね、俺がちょっと囁いただけでがちがちになっちゃってさー」
 橘朋聡は至極ご機嫌だった。
「可愛いのなんのって。あの人相当遊んでるはずなのに、相手が男だってだけでダメになっちゃうんだよ。もう、まるでチェリーボーイみたいに」
 気分のいい夜は、飲む酒の味も格別だ。

 行きつけのバーのカウンター席。照明は暗く、遠慮がちに流れるジャズが聞こえてくる。
「早く落としたいなー」
 そこまで長々と喋るとやっと、隣から相槌返ってくる。
「そうか」
 一滴たりとも感情の入ってないような声の主は、朋聡が最も親しくしている友人、柊木叡凌。
 高校から大学まで一緒で、社会人となってからも月に何度かこうやって一緒に飲みにでかけるが、叡凌が話した言葉は恐ろしく少ない。しかも、ほとんどがさっきのような愛想のない相槌だ。
 それでも朋聡にとっては最も心を許せる相手であり、一緒にいて楽しいと思える相手なのだ。

「びっくりするぐらい俺好みなんだよねー。まあ、顔は入社するずっと前から知ってたし、好みだなーとは思ってたけど、まさか中身があんなにイイとは思わなかったよ」
 叡凌は聞いているのかいないのか、華奢な銀フレームの眼鏡をちょっと上げてから、バーテンダーに酒のおかわりを注文している。。
 朋聡はひとりはしゃいで、一週間前から自分の上司になった男の話を延々と続けながら、一ノ瀬薫の端正な顔が驚いたり、焦ったりする様を思い出してはにやけていた。

 ストライクゾーンど真ん中。
 泣く子も黙る、一ノ瀬薫。日本を代表する大企業の社長代理だから、というだけじゃない。
 人は自分より優れた人物をどうしても妬んでしまうものだが、あそこまできたら大抵の人間がもう妬む気にもならないだろう。
 生まれもってのお坊ちゃまで、尚且つ頭脳明晰、眉目秀麗。仕事ができて、部下からの信頼は厚く、女性社員からは王子様、男性社員からは神様と崇められている。
 非の打ち所がない、とはああいう人のための言葉だろう。

 そういう噂だけなら、数年前から耳にたくさん挟んでいた。
 しかし、実際会ってみたらそれ以上だ。
 というより、みんな見る目がないんじゃないかとさえ思う。
「あんな可愛い人、他にいないよー」
 怒りと羞恥に顔を高潮させた薫の顔を思い浮かべて、朋聡は思わず身を捩って悶えた。

 ああ、もっと翻弄したい。
 あの切れ長の瞳にいろんな熱を灯らせてみたい。あの真っ黒で涼しげな瞳に。凛とした眉を寄せ、正しく結ばれたあの朱色の唇を歪める様が見てみたい。
 朋聡のなかの欲望は留まることを知らず、どんどん膨れていく。

「まだ、抱かないのか?」
 平坦な声で、不意に叡凌が訊いた。
「まだしないー。だってー、じわじわ追いつめたほうが楽しいじゃなーい」
 恋愛ゲームは、狩りだ。
 罠を仕掛けたり、おびき寄せたり、どこかに潜んだり、時には自らを餌として誘ってみたり。
 思ったように獲物が手に入った時の、あの至福の喜びはたまらない。
 たぶん、前世なんてものがあるとするなら、自分は間違いなく肉食獣だったと思う。

「最初っから、俺の計画通り。ホテルで会ったのは偶然だったけど、あの時マーキングした時点で、薫さんは俺の獲物。これから毎日少しずつ、確実に攻めていくんだー」
 少し酔ってきたかもしれない。
 冷えたグラスを当ててみれば、頬が火照っているのがわかる。
 カラリ、と氷が音をたてる。
 いい気分だ。

「長期戦か、珍しいな」
 随分間があってから、叡凌がそんなことを言ったが、酔いの回り始めた朋聡にはその言葉は頭のなかにぼんやりと灯り、すぐに淡くなって消えて行った。 



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